建物の紹介
主な建造物の建築方法
創業当初に建てられた富岡製糸場の建造物は、横須賀製鉄所建設に携わったフランス人のオーギュスト・バスティアンが図面を引き、日本人の大工や職人によって建てられました。
これらの主要な建物は、木の骨組みに、煉瓦で壁を積み上げて造る「木骨煉瓦造」という西洋の建築方法で建てられましたが、屋根は日本瓦で葺くなど、日本と西洋の技術を見事に融合させた建物です。「木骨煉瓦造」は、最初は横須賀製鉄所で導入された建築工法で横須賀から富岡製糸場に伝わりました。
建造物の主要資材は石、木、煉瓦、瓦で構成され、鉄枠のガラス窓や観音開きのドアの蝶番などはフランスより輸入されました。中心となる材木の杉は妙義山、松は吾妻と主に官林より調達し、小振りの材木は近くの山林から集めました。また礎石となる石は連石山(現甘楽町)から切り出してつくりました。
煉瓦は、フランス人技術者が瓦職人に作り方を教え、福島町(現甘楽町福島)の笹森稲荷神社東側に窯を築き瓦と共に焼き上げました。その中心となったのは韮塚直次郎を含む埼玉県深谷からやってきた瓦職人でした。煉瓦の目地には、モルタルの代わりに漆喰を使い、原料となる石灰は下仁田町青倉・栗山で調達しました。煉瓦壁は、フランス積みで積まれています。この積み方は主にフランス北部のフランドル地方で用いられた工法で、フランドル積みとも呼ばれています。
これらの主要な建物は、木の骨組みに、煉瓦で壁を積み上げて造る「木骨煉瓦造」という西洋の建築方法で建てられましたが、屋根は日本瓦で葺くなど、日本と西洋の技術を見事に融合させた建物です。「木骨煉瓦造」は、最初は横須賀製鉄所で導入された建築工法で横須賀から富岡製糸場に伝わりました。
建造物の主要資材は石、木、煉瓦、瓦で構成され、鉄枠のガラス窓や観音開きのドアの蝶番などはフランスより輸入されました。中心となる材木の杉は妙義山、松は吾妻と主に官林より調達し、小振りの材木は近くの山林から集めました。また礎石となる石は連石山(現甘楽町)から切り出してつくりました。
煉瓦は、フランス人技術者が瓦職人に作り方を教え、福島町(現甘楽町福島)の笹森稲荷神社東側に窯を築き瓦と共に焼き上げました。その中心となったのは韮塚直次郎を含む埼玉県深谷からやってきた瓦職人でした。煉瓦の目地には、モルタルの代わりに漆喰を使い、原料となる石灰は下仁田町青倉・栗山で調達しました。煉瓦壁は、フランス積みで積まれています。この積み方は主にフランス北部のフランドル地方で用いられた工法で、フランドル積みとも呼ばれています。
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富岡製糸場の建設に関わった人物
尾高惇忠
「政府の役人として関わった責任者で、ブリュナ(フランス人指導者)と建設地の選定から建築資材の手配など富岡製糸場の設立に尽力しました。また、富岡製糸場の初代場長となり、娘の勇を「第1号工女」として入場させました。
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韮塚直次郎
富岡製糸場建設に於いて資材調達を担当しました。特に煉瓦については、当時の富岡周辺には煉瓦職人がいなかったため現在の深谷市の瓦職人を集め、ブリュナ指導の下、焼成に尽力しました。
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フランソワ・ポール・ブリュナ
ブリュナは横浜の商館で生糸の検査人をしていましたが、蚕糸業に関する知識を見込まれ、明治政府に雇用された富岡製糸場設立の指導者です。明治3年(1870年)に「見込書」(製糸場設立及び経営の計画書)を政府に提出して仮契約を結び、建設地の選定にも同行、同年11月に正式に雇用契約を締結しました。フランスから製糸場に必要な技術者の雇い入れや洋式の器械を日本人の体格に合うように改良したものを注文して取り寄せるなどしました。
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エドモン・オーギュスト・バスティアン
主要な建造物の図面を引いたフランス人技術者で、明治3年(1870年)12月に設計図を完成(ブリュナの要請からわずか50日と言われている)させています。これはバスティアンが富岡製糸場の仕事に当たる以前に、舟工兼製図職として勤務していた横須賀製鉄所の設計図を参考にしたためと考えられています。
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文化財指定
富岡製糸場は昭和62年(1987年)操業を停止した後、平成17年(2005年)7月に敷地が国の史跡に、そして翌年平成18年(2006年)7月には創業当初期の建造物が国の重要文化財に指定されました。重要文化財のうち繰糸所、東置繭所、西置繭所の3棟は平成26年(2014年)12月に国宝となりました。現在は富岡市が所有・管理を行っています。
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史跡
指定面積 55,391.42平方メートル
富岡製糸場の主な建物
①繰糸所(国宝)
②東置繭所(国宝)
③西置繭所(国宝)
④首長館(重要文化財)
⑤蒸気釜所(重要文化財)
⑥検査人館(重要文化財)
⑦女工館(重要文化財)
⑧鉄水溜(重要文化財)
⑨下水竇及び外竇(重要文化財)
繭から糸を取る作業が行われていた建物です。長さ約140mの巨大な工場で、創設時にフランスから導入した金属製の繰糸器300釜が設置され、世界最大規模の器械製糸工場でした。小屋組みにトラス構造を用いることで建物の中央に柱のない大空間を作り出すことが出来ました。
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②東置繭所(国宝)
主に繭を貯蔵していた建物です。2階に乾燥させた繭を貯蔵し、1階は事務所・作業場として使っていました。長さおよそ104mにもおよぶ巨大な繭倉庫です。
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③西置繭所(国宝)
東置繭所と同様に2階は繭を貯蔵していた建物です。大きさ・構造は東置繭所とほぼ同じですが、1階の北半分の東面は官営期に蒸気機関を動かすための石炭置き場として使われてため東面には壁がありませんでした。この部分の煉瓦壁は昭和56年頃に積まれたものです。
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④首長館(重要文化財)
指導者として雇われたフランス人 ポール・ブリュナが家族と暮らしていた住居です。コロニアル様式で、床が高く、建物の四方にベランダが回り、窓にはよろい戸を付けた風通しの良い作りとなっています。ブリュナが去った後は工女の寄宿舎や教育・娯楽の場として利用されました。
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⑤蒸気釜所(重要文化財)
ボイラーと蒸気機関が設置されていた建物です。後に改造・増築され蒸気釜所や選繭場として使われました。
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⑥検査人館(重要文化財)
生糸の検査などを担当したフランス人男性技術者の住居です。首長館と同様、コロニアル様式が採用され風通しの良い造りになっています。後に改修され現在は事務所として使用されています。2階には政府の役人や皇族が訪れた際に使用された「貴賓室」があります。
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⑦女工館(重要文化財)
日本人工女に器械製糸の糸取の技術を教えるために雇われたフランス人女性教師の住居です。首長館と同様、コロニアル様式が採用され風通しの良い造りになっています。後に改修され食堂や会議室として使用されました。
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⑧鉄水溜(重要文化財)
明治8年頃に造られた製糸に必要な水を溜めておくための巨大な水槽です。この鉄水溜の製造には軍艦の造船技術であるリベット止めが使われ、およそ400トンの水を溜めおくことが出来ました。
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⑨下水竇及び外竇(重要文化財)
創業当初に造られた排水溝で、繰糸所からの排水と建物の屋根からの雨水を、富岡製糸場の南側を流れる鏑川に放水するために設けられた下水道です。現在でもほぼ完全な形で残されており、現在も雨水用排水として使用されています。
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