革新しつづける、未来をつくる TOMIOKA –ism

ドライビングフォース-近代化を牽引

19世紀後半、産業革命が進んだ国際社会へ遅れてデビューした日本は西洋の工業技術力に圧倒されます。明治政府は国の近代化を急ぎ、輸出品として需要の高かった生糸に着目。世界に通じる生糸を大量生産して外貨の獲得を目指すことに。政府は本格的な製糸工場を建設して模範とし新しい技術を広める拠点としました。それが富岡製糸場です。
 外国人指導者を招き、機械や設備類を輸入。建物にはまだ珍しかった煉瓦を専用に焼いて使用。生産規模では当時世界最大級の製糸工場を富岡に建設しました。大規模な国家プロジェクトであるにも関わらず計画から操業開始までわずか2年半余り。注ぎこまれたエネルギーは一体どれほどだったことか。
器械製糸の発展により日本はやがて生糸輸出量で世界一へ。製糸業は国の中心的な産業となり近代国家建設を支えていきます。生糸を輸送するため、産地と輸出港のある横浜をつなぐ鉄道も建設されていきました。
創業期の様子を今もよく留める富岡製糸場。訪れて、その時代のエネルギーを感じとってください。

イノベーション -生糸づくりへの思い

日本の近代製糸工場の先駆け、富岡製糸場。新しい器械製糸の技術を広めるため国のモデル工場として誕生しました。その役割を終え民営化された後も、品質と生産能率の向上を常に目指し、日本製糸業のトップランナーとして技術革新を続けます。富岡製糸場では、繰糸機だけでなく原料繭を乾燥する技術の革新、さらには繭の品質改良にも一時期、先進的に取り組みました。
やがて日本の製糸技術は世界をリードするほどに発展。世界の絹文化にも影響を与えます。第二次世界大戦後、日本で実用化された自動繰糸機の技術は海外へ輸出され、今も世界の製糸業を支えています。
 富岡製糸場の技術革新の根底にあったものは、製糸家や技術者たちの良い生糸づくりへのひたむきな思い。今もその精神は地域の蚕糸業に引き継がれています。富岡を訪れれば歴史とともに育まれた高品質な「富岡シルク」に出会えます。

チャレンジ -女性たちの新たな一歩

富岡製糸場の創業とともに、日本の女性たちに新しい活躍の場が誕生しました。ほんの数年前まで武士が刀を帯び肩で風を切って歩いていた時代。多くの若い女性が勇気を出して一歩踏み出し、期待と緊張を胸に各地から富岡を目指しました。近代的なモデル工場で新しい器械製糸技術を習得し、故郷へ戻りリーダーとして活躍する。その高い志は計り知れません。彼女たちは真新しい金属製の繰糸器械を前に男性用の袴を身に付けて座り、慣れない作業に挑みました。
操業を続けた115年間。女性の活躍が富岡製糸場を支え続けます。誇りと責任感をもち仕事に励み、仕事が終われば教室で自分磨きも忘れない。休みの日には美味しいものを求めてまち歩き。寄宿舎の部屋にはひいきの歌手や役者のブロマイドを貼って”推し活”。
そんな彼女たちの思い出の場所が今も富岡のあちらこちらに。足跡をたどり思いをはせれば、時代を超えてたくましく生きた女性たちの元気がもらえそうです。

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