歴史の概要

『上州富岡製糸場之図』長谷川竹葉画 明治9年(富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館 所蔵)

富岡製糸場設立の目的とその背景

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設立の地に富岡が選ばれた理由

明治政府は、ポール・ブリュナに工場設立のための計画書を作成させます。作成前ブリュナは、横浜から遠くなく養蚕の盛んな、武州・上州・信州などを巡り、養蚕農家の仕事や、婦人の糸挽きの様子をじっくり観察しました。日本の養蚕製糸業への深いまなざしには、ブリュナの製糸に挑む細やかな姿勢があったのかもしれません。そして、ブリュナは富岡周辺の山並み美しいこの地を、遠き故郷ブールドベアージュの風景と重ねています。

ブリュナは政府と首長となる仮契約を結ぶと、日本人の役人尾高惇忠とともに再び養蚕地帯を旅し、この地を訪れます。養蚕が盛んで原料となる繭を調達できること、広い工場用地が確保できること、製糸用水が確保できること、動力に必要な亜炭が近隣から採取できること、地元の人たちの建設への同意が得られたことなどの諸条件が揃っていたため、富岡を建設地とします。

富岡製糸場の変遷

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現在の富岡製糸場

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横田英(和田英)(1857-1929)

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横田英(和田英)

横田英(和田英)

『富岡日記』[写真](群馬県立歴史博物館提供)

『富岡日記』[写真](群馬県立歴史博物館提供)

『工女勉強之図』朝孝 画 大正15年複製(富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館 所蔵)

『工女勉強之図』朝孝 画 大正15年複製(富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館 所蔵)